読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

bluesoyaji’s blog

読書、化石採集、大学入試問題の分析、国語の勉強方法、文学、音楽、学び方などを書いています。少しでも高校生や受験生のみなさんの役に立てばうれしいです。

化石採集 徳島県上勝町で貝の化石を見つけました


徳島県上勝町で化石採集しました。

 

参考にしたのは、徳島県 地学のガイド コロナ社

 

徳島県 地学のガイド―徳島県の地質とそのおいたち (地学のガイドシリーズ) 

掲載されている上勝町の正木ダムコースと月ヶ谷コースに行ってみました。

 

月ヶ谷コースは、蛇紋岩の路頭を通り、せまい林道をひたすら車で上っていきました。途中で本に紹介されているポイントを探索しましたが、化石は全く発見できません。

とうとう月ヶ谷の集落の手前まで行きました。林道沿いの崖は泥岩がありますが、化石は見つかりません。

あきらめて引き返しました。


本の出版が2001年なので、情報としてはもう古いのでしょう。でも現地は山深くて誰とも会わず、自然を満喫できました。

 

次に、正木ダムコースへ行きました。ここは以前にも来ましたが、ダム沿いの道では全く化石を見ることができません。

地学ガイドには、たくさんの採集ポイントが紹介されていますが、残念です。

 

次に、柳谷集落を目指して、山を登っていきます。道は舗装されていて車でも通りやすいです。川沿いに停めて、転石を見ながら進みます。集落の途中で、これ以上は化石採集地はないと判断して引き返します。


最後に見てみた川の転石に貝の化石がありました。ハンマーで割ってみると、大きめの貝化石が入っていました。やれやれ、やっと見つけてほっとしました。

 

f:id:bluesoyaji:20170313180515j:image

f:id:bluesoyaji:20170313180531j:image

f:id:bluesoyaji:20170313180551j:image

f:id:bluesoyaji:20170313180608j:image

f:id:bluesoyaji:20170313180645j:image

20cmほどの石を割ったものです。

 

今回は、残念ながらトリゴニアの化石は見つかりませんでした。
いつかは上勝町の名物、トリゴニア化石を見つけたいです。

 

ネットでは化石が見つかる場所の情報がありません。
今度は現地の方に聞いてみようと思います。

 

何度か訪れた上勝町。いろどりビジネスで全国的に有名ですが、自然の景色がたいへん魅力的です。そこに中生代白亜紀の化石が眠っています。

 

山形大学医学部 2015年 大学入試問題 「夜間飛行」サン=テグジュペリ

サン=テグジュペリの「夜間飛行」は、1931年にパリで出版された小説である。

 

山形大学医学部の2015年大学入試 国語の問題で「夜間飛行」が出題されたので、考えてみた。

 

なお、問題文は、新潮文庫 堀口大学訳の文章。おそらく著作権の関係でネットには掲載されていない。
私が確認したのは、旺文社 「2016 全国大学入試問題正解」という問題集である。

 

新訳は、光文社古典新訳文庫、二木麻里訳で出ている。

 

夜間飛行 (新潮文庫

 

夜間飛行 (光文社古典新訳文庫) 


サン=テグジュペリの生涯 


サン=テグジュペリの生涯」ステイシー・シフ著 新潮社 より、問題文の参考になる箇所を引用する。

 

一種の叙情性をすっかり捨ててしまうことはできなかったが、「夜間飛行」はそれでもさわやかに引き締まった作品に仕上がっている。作品の広がりという点でも優れ、ヘミングウェイの「老人と海」なみに自然との闘いを描いているのだ。

この作品では、三機の郵便飛行機が暗い夜空を飛んでいる。一機はパタゴニアから北上、一機はチリから東へ、もう一機はパラグアイから南へと、三機ともブエノス・アイレスを目指している。そこでは、ヨーロッパ路線の操縦士が真夜中に東へ飛び立とうと待っていた。だが到着したのは二機だけ。ヨーロッパ便は予定通り出発する。その便に、操縦士もろとも猛烈なサイクロンに巻き込まれたパタゴニアからの郵便物は、積まれていなかった。

 

郵便路線の発達を、厳格そのもののリヴィエールという登場人物ほど注意ぶかく見守ってきた者はいない。リヴィエールの営業主任という肩書きはサン=テグジュペリ自身のそれと同じだが、人物そのものは1931年当時も今もディディエ・ドーラの伝説と重なり合っている。パタゴニアからの郵便とともに死ぬ悲運の飛行士ファビアンではなく、リヴィエールこそがこの小説のヒーローなのだ。

リヴィエールの使命は、彼が考えていたとおり、部下たちを鉄のように鍛えること、訓練すること、自らを克服して郵便輸送というとてつもない仕事に成功するよう仕向けることだった。

 

リヴィエール自身も「私は正しいのだろうか、それとも間違っているのか?まったくわからない。わかっているのは、私が厳しくしていれば、事故が少ないということだけだ」とつぶやいている。

 

この「老いた獅子」はある特別な形の勇気に深い敬意を抱いていた。大工の穏やかな幸せや、鉄床の前の鍛冶屋の勤勉さ、自分の土地がふたたび森におおわれないよう闘う庭師の粘り強さといったものに、何よりも敬服していたのだ。

 

彼の作品の中で、「夜間飛行」ほど巧みに行動と黙想を融合させえたものはない。

 

この物語は、電報や過去の追想、感情の描写といった一種の文学的モンタージュで、そのすべてが見る者に世界を、感情を交えず正確に、カメラが写し取ったような風景としてみせるのだ。より正確には、パイロットの目がとらえる風景である。

 

 

 

問題文は、パタゴニアからの飛行機を操縦するファビアンの機上での思索と、地上で飛行機の到着を待つリヴィエールの想いを描いている。

 

翻訳者、堀口大学の詩的な表現が、読解にやや困難さをもたらしている。

 

リヴィエールは、老職工長ルルーとの会話で、

この老人は、自分の過去の生活に対して、立派な板を一枚みがき上げた指物師の澄んだ満足「これで、仕上がった」というあの尊い気持ちを感じている。

と思う。

 

自分の重い職務に対し、強い責任感を負う人物の心情。これこそ医学者に求められる人間性の一面ではないか。リヴィエールの立場は、たしかに人の命を預かる医者と似ている。

 

山形大学が医学部受験生に、この「夜間飛行」を出題したねらいもそこにあるのだろう。

 

医学部を目指す受験生には、優秀な頭脳や豊富な知識だけでなく、仕事に対するリヴィエールのような態度も求められるのだ。

 

サン=テグジュペリの小説を読み、人生に思いを巡らすような人間性も当然求められているだろう。

 

サン=テグジュペリは1944年7月31日、偵察に出撃、地中海上空で消息を絶った。

 

1998年マルセイユ沖で、サン=テグジュペリの名前が刻まれたブレスレットがトロール船に引き上げられた。

 

2000年、その海域で、サン=テグジュペリ搭乗機が確認され、2003年引き上げられた。

 

 

星の王子さま」で知られるサン=テグジュペリの「夜間飛行」も、ぜひ一読をお勧めします。

 

2016年 東京大学 文科 前期 大学入試問題 国語 「反知性主義者たちの肖像」内田樹

2016年 東京大学 文科 前期 国語

反知性主義者たちの肖像」内田樹 

 

 河合塾のサイトで見ることができます。

東京大学

http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/16/t01.html

 

反知性主義について、引用を用いながら筆者の考える知性との対比で、その定義を行い、批判した文章です。


対比や具体例を用いた文章なので、丁寧に読みとっていけば、筆者の主張の理解はできます。

あとは設問に対する解答の文章力が求められます。本文の要約や言い換えで、適切な字数に収める訓練が必要です。

 

内田樹先生といえば、西宮にある神戸女学院大学の先生を勤められた方。

最近では、マンガ「うつヌケ」田中圭一 角川書店 にもご自身の体験が取り上げられていて、興味深く拝見しました。

この内田先生の文書を出題したことは、東大生になる受験生に対し、反知性主義者になってはいけないというメッセージが込められているのではないでしょうか。


東大生は将来、為政者や権力者に近いところで働いたり、あるいは、権力を持つ立場になったりすることが多いので、ちゃんと考えていて欲しいというねらいがあると思われます。


「ひたむきな知的情熱」を持つのは、間違いなく東大生が一番ですから。

 

2015年9月には、現政権が「安保法案」を通しています。政権への批判が東大の先生方の中で強かったのだろうと思います。

 

大学入試に世間の動きが関係しないはずがありません。教科の受験勉強ばかりしていると、世間の動きに無関心になり、それこそ「反知性主義者」になる可能性ができてしまいます。

 

せめて東大に入る受験生には、社会の問題に対する鋭い意識を持っていて欲しいという大学教員の願いがあったのだと考えます。

 

この2016年には、東京大学だけでなく、大阪大学でも、「反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴」白井聡 という文章が出題されています。

 

阪大もか!と驚きましたが、さらに大阪大学の国語の2問目は、なんと内田樹先生の「街場の戦争論」でした。

 

大阪大学
http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/16/ha1.html


どれだけ「反知性主義」推し?「内田樹」推し!


旧帝大が2校もそろって、これですよ。
受験生なら、この問題は必ず読んでおきましょう。

 

出典を調べてみると、さらにおもしろいことがわかりました。


東大、阪大の「反知性主義」の文章は同じ本からの出題でした。


アマゾンのリンクを張っておくので、興味のある方は一読してみてください。

 

 

日本の反知性主義 (犀の教室)
晶文社
 

目次

反知性主義者たちの肖像 内田樹
反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴白井聡
反知性主義」について書くことが、なんだか「反知性主義」っぽくて
イヤだな、と思ったので、じゃあなにについて書けばいいのだろう、
と思って書いたこと 高橋源一郎
どんな兵器よりも破壊的なもの 赤坂真理
戦後70年の自虐と自慢 平川克美
いま日本で進行している階級的分断について 小田嶋隆
身体を通した直観知を 名越康文×内田樹
体験的「反知性主義」論 想田和弘
科学の進歩にともなう「反知性主義」 仲野徹
「摩擦」の意味──知性的であるということについて 鷲田清一

国公立大学二次試験の小論文は、「田村の小論文講義」がおすすめ

「田村の小論文講義1根底力養成篇 田村秀行 代々木ライブラリー

大学入試小論文の勉強におすすめです。


一巻の「根底力養成篇」は、テーマ型小論文の問題と文章題の要約問題が扱われています。


二巻の「応用力養成篇」では、実際の文章型の問題を扱っています。


残念ながら、どちらも現在は出版されていないので、手に入れたい方は古書で探して入手してください。


Amazonで調べてみると、第一巻は低料金でまだたくさんありました。

 

小論文が国公立大学の二次試験にあり、あまり対策ができていないという人は一巻を勉強してください。
ある程度小論文の勉強をしてきて書ける人は、二巻がおすすめです。

 

ここでは一巻の勉強の仕方を書きます。


「はしがき」と「本書の使用法」にあるように、問題(与えられた課題、テーマ)をまず自分で書いてみます。


次に、別綴じになった解答例を読み、本篇に戻って、著者の詳しい解説を読みます。

この解説をしっかりと読み、理解することが一番のポイントです。

途中に囲みで、

「『論文』なのだから、単に自分個人のことにとどまるような内容では失格である。」

「自ら提起した問題には明確な結論を与えて締めくくらなければならず、疑問形で終わるのは『論文』では最もいけない。」
といった注意点がたくさん掲載されています。

 

時間の無い人は、この囲みの内容だけでも一通り目を通しましょう。目次に「囲み事項索引」がつけられているので、大変使いやすいです。


国公立大学の小論文入試では、よく要約問題が出題されますが、この本ではその対策が詳しく解説されています。これは絶対におすすめです。


たとえば、要約の第一問の解説には、次のようなまとめの項目が載っています。


必要なところを残して、他を大きく切り捨てる思い切りが必要である。


数箇所を一つにまとめた表現を考えて字数を短くしなければならない。


本文の詳しい説明に代わる働きをする端的な接続詞を適宜用いて文意を明確にしなければならない。


長い表現も、工夫しだいで端的な表現に置き換えうる。


といった項目を確認するだけでも、要約問題に対処する方法が身につきます。

 

田村先生の問題集は、解説をじっくり読むことが求められます。

 

もし、この「小論文講義1」が難しく感じる人は、「やさしく語る小論文」を先に勉強することをおすすめします。


この本は、以前のブログ記事で紹介しています。参考にしてください。

 

http://bluesoyaji.hatenablog.com/entry/2017/02/04/180340

 

 

 

f:id:bluesoyaji:20170306180622j:image

田村の小論文講義―代々木ゼミ方式 (1) 

http://amzn.to/2q1UQbN



 f:id:bluesoyaji:20170306180640j:image

 

田村の小論文講義―代々木ゼミ方式 (2) 

http://amzn.to/2q1MZec

国語教師が勧める小説 夏目漱石「夢十夜」と上田秋成「青頭巾」

 

 

夏目漱石夢十夜」と上田秋成「青頭巾」


夏目漱石夢十夜」第一夜

第一夜は、男が女との約束を待ち続ける話。百年待てば、会いに来るという女の言葉を信じて男は墓石の前で座り続けます。

 青空文庫から引用します。

 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

 

夏目漱石 夢十夜
第一夜

 こんな夢を見た。
 腕組をして枕元に坐すわっていると、仰向に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云た。自分も確にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮に浮かんでいる。
 自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の色沢を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
 じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。
 しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。
 自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな縁の鋭どい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
 それから星の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑かになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、自分の胸と手が少し暖くなった。
 自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。
 しばらくするとまた唐紅の天道がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。
 自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。
 すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に徹えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動た。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思ず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

 

 

大変ロマンチックなお話です。

男が百年間、女を待ち続けるというこの設定は、上田秋成の「青頭巾」を連想させます。


「青頭巾」は、「雨月物語」所収の話です。

旅する僧が立ち寄った村で奇妙な話を耳にします。そして僧が訪れた荒れ寺で目にしたのは、愛欲にとりつかれて、死んだ最愛の男の子を食べてしまい、鬼と化した住職の姿です。

住職に「江月照松風吹 永夜清宵何所為」という句を授け、一年後、その寺を訪れると、まだ住職が小さな声で、二句を唱えています。

僧が一喝すると、あとには骨と住職が被っていた青頭巾のみが残っていたという話です。


漱石夢十夜は、女との再会を待ち続ける男。青頭巾は、愛欲の妄執から脱するため、句を唱え続ける住職。どちらも愛が絡んでいて、執着する姿が共通しています。

男は百年立つ間、住職は悟りを得るまで、ともに座して待つのです。


夏目漱石は、上田秋成の青頭巾を読んで、夢十夜(第一夜)の着想を得たのではないでしょうか。


私は初めてこの第一夜を読んだとき、「これ青頭巾やん」と思いました。


漱石上田秋成を読んでいたのかどうか知りませんが、もしそうだとすると、この第一夜は、漱石のロマンチックな部分がよくでている話だと思います。


ちなみに、青頭巾は、谷崎潤一郎が「芦刈」という小説の中で、「江月照松風吹 永夜清宵何所為」の句を取り入れています。興味のある方はぜひ一読してください。

 

青頭巾は、水木しげるのマンガでも読めます。

 

 まぼろし旅行記 (ちくま文庫―妖怪ワンダーランド)

 

改訂版 雨月物語―現代語訳付き (角川ソフィア文庫)  

2017年 広島大学 入試問題 国語 「ブラジルおじいの酒」目取真俊 を読んで考えた

2017年 広島大学 入試問題 国語 小説

「ブラジルおじいの酒」目取真俊 

 

河合塾のサイト

http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/17/hr1.html

 

f:id:bluesoyaji:20170302182820j:image

f:id:bluesoyaji:20170302182835j:image

f:id:bluesoyaji:20170302182844j:image

f:id:bluesoyaji:20170302182859j:image

 f:id:bluesoyaji:20170302183821j:image

近所に一人で住む「おじい」と小学4年生の「ぼく」との交流が描かれている。
初めは友だちと「おじい」の畑から果物を盗むなどのいたずらをしていた「ぼく」が、あるできごとをきっかけにおじいの家に出入りするようになる。

若いときにブラジルに渡り、壮絶な体験をしたらしいおじいは、ぼくにさまざまな話を語る。


問題文は、おじいが瓶から取り出した泡盛をぼくに勧める場面である。
おじいとその父親の約束の話があり、ブラジルから帰郷したおじいが家族の全滅を知る話があり、瓶の由来が語られる。
おじいとぼくの話のなかに、おじいと父親の話が挿入されている。

 

おじいの語りから、沖縄戦の凄惨さが伝わる。おじいの生まれ育った集落が米軍基地になってしまっている。そして、洞窟(がま)の存在。

 

この問題文も、大阪大学の入試問題「魚雷艇学生」と同様、戦争のことを忘れるなという出題者のねらいがあるのだろう。


受験生のみなさんは、中学や高校の修学旅行で沖縄へ行き、平和学習をした人もいるでしょう。沖縄戦を学んだ人も、知らない人も、この「ブラジルおじいの酒」を読むことを通して、沖縄の問題に触れることができる。
学習のきっかけになる。そういう意味でも貴重な出題と言える。

 

作者の目取真俊氏は、「水滴」で芥川賞を受賞し、活躍されている沖縄出身の作家である。直接は沖縄戦を体験していない世代だが、おそらく、幼い頃から親や周囲の人の語る沖縄戦の話をたくさん聞き取ってきたことだろう。


今後、戦争を直接経験した世代が少なくなることで、戦争の残酷さ、悲惨さが薄められるようなことがあってはいけない。私も含め、戦争を体験していない世代が、語り継ぐ、あるいは、記録や文学作品を通して戦争の実態を知ることが求められる。

こんな時代だからこそ、大学入試の問題として戦争を扱った文章を読ませることは、意義のあることだ。

 

ユリイカ」2001年8月号 特集<沖縄>から に今福龍太「混合体としての沖縄の叡智 目取真俊『ブラジルおじいの酒』を読む」という論考が掲載されています。


文化人類学の立場からの詳細な考察で、参考になりました。一部、引用します。


目取真俊の作品では、この物語に限らず、時間と場所を異にするさまざまな要素が一つの想像力のなかで非常に見事に融合されていて、「現在の沖縄」の一つの写し絵が形作られている。

 

目取真俊の作品のおすすめです。 


水滴 (文春文庫) 

 

 f:id:bluesoyaji:20170302181144j:image

魂込め(まぶいぐみ)

「ブラジルおじいの酒」所収

 

f:id:bluesoyaji:20170302181522j:image

群蝶の木

 

f:id:bluesoyaji:20170302181539j:image

 眼の奥の森 

 

2017年 大阪大学 入試問題 文学部 国語 小説 島尾敏雄 「魚雷艇学生」を読んで考えた

2017年 大阪大学 入試問題 文学部 国語 小説      島尾敏雄魚雷艇学生』

 

http://nyushi.nikkei.co.jp/honshi/17/ha1-31p.pdf

 

分析や解答例は河合塾のサイトでどうぞ。

河合塾(総合教育機関・予備校)/ 2017年度国公立大二次試験・私立大入試解答速報
http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/17/ha1.html

 

著者の島尾敏雄は、鹿児島県加計呂麻島で海軍の特攻兵器 震洋部隊の隊長として従軍した経験を『出発は遂に訪れず』や『出孤島記』に書いています。

問題文は、非日常における異常な心理が描写されています。


受験生のみなさんは、想像力をめぐらし、主人公の心情を理解することが求められます。

平和な現代を生きる受験生も、戦争に対する知識や関心を持っていなければならないというメッセージが込められているのでしょう。

今後も、戦争を扱った文学作品が出題されることはあるでしょう。

おすすめの作品を挙げておきます。


大西巨人神聖喜劇
〈第1巻〉 (光文社文庫) 

戦後の日本文学で最高傑作の一つにあげられる問題作です。
読むと主人公と同じように頭脳が明晰になった気がします。
ぜひ一読をおすすめします。


古山高麗雄
「断作戦」―戦争文学三部作〈1〉 (文春文庫) 

古山高麗雄は、大西巨人と同じく軍隊体験を持つ小説家です。

島尾敏雄はこれがおすすめです。

「出発は遂に訪れず 」(新潮文庫 し 11-1) 

「出孤島記 」(新潮文庫 草 164B) 

魚雷艇学生 」(新潮文庫

「文系学部廃止」の衝撃 2017年大阪大学 入試問題を読んで考えた

2017年 大阪大学 法・外国語・経済・人間科学部(前期)

『「文系学部廃止」の衝撃』吉見俊哉

 集英社新書

 

ここで見ることができます。

http://nyushi.nikkei.co.jp/honshi/17/ha1-32p.pdf

  

今回はテキストにしてみました。

ただし、設問の傍線部や漢字問題は除きました。

参考にご覧ください。

 

Ⅱ次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

 大学の知が「役に立つ」のは、必ずしも国家や産業に対してだけとは限りません。神に対して役立つこと、人に対して役立つこと、そして地球社会の未来に対して役に立つことー。大学の知が向けられるべき宛先にはいくつものレベルの違いがあり、その時々の政権や国家権力、近代的市民社会といった臨界を超えています。
 そしてこの多様性は、時間的なスパンの違いも含んでいます。文系の知にとって、三年、五年ですぐに役に立つことは難しいかもしれません。しかし、三〇年、五〇年の中長期的スパンでならば、工学系よりも人文社会系の知のほうが役に立つ可能性が大です。ですから、「人文社会系の知は役に立たないけれども大切」という議論ではなく、「人文社会系は長期的にとても役に立つから価値がある」という議論が必要ななのです。
 そのためには、「役に立つ」とはどういうことかを深く考えなければなりません。概していえば、「役に立つ」ことには二つの次元があります。一つ目は、目的がすでに設定されていて、その目的を実現するために最も優れた方法を見つけていく目的遂行型です。これは、どちらかというと理系的な知で、文系は苦手です。たとえば、東京と大阪を行き来するために、どのような技術を組み合わせれば最も速く行けるのかを考え、開発されたのが新幹線でした。また最近では、情報工学で、より効率的なビッグデータの処理や言語検索のシステムが開発されています。いずれも目的は所与で、その目的の達成に「役に立つ」成果を挙げます。文系の知にこうした目に見える成果の達成は難しいでしょう。
 しかし、「役に立つ」ことには、実はもう一つの次元があります。たとえば本人はどうしていいかわからないでいるのだけれども、友人や教師の言ってくれた一言によってインスピレーションが生まれ、厄介だと思っていた問題が一挙に解決に向かうようなときがあります。この場合、何が目的か最初はわかっていないのですが、その友人や教師の一言が、向かうべき方向、いわば目的や価値の軸を発見させてくれるのです。このようにして、「役に立つ」ための価値や目的自体を創造することを価値創造型と呼んでおきたいと思います。これは、役に立つと社会が考える価値軸そのものを再考したり、新たに創造したりする実践です。
文系が「役に立つ」のは、多くの場合、この後者の意味においてです。

 古典的な議論では、ドイツの社会学マックス・ウェーバーによる「目的合理的行為」と「価値合理的行為」という区分があります。そこでは、合理性には「目的合理性」と「価値合理性』の二つがある、と言われました。「目的合理性」とは、ある目的に対して最も合理的な手段連鎖が組み立てられていくことであるのに対し、「価値合理性」は、何らかの目的に対してというよりも、それ自体で価値を持つような活動です。
 ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じたことは、ブロテスタンティズムの倫理は価値合理的行為であったのだが、その行為の連鎖が結果的にきわめて目的合理的なシステムである資本主義を生み出し、やがてその価値合理性が失われた後も自己転回を続けたという洞察です。そこで強調されたのは、目的合理性が自己完結したシステムは、いつか価値の内実を失って化石化していくのだが、目的合理的な行為自体がその状態を内側から変えていくことはできない、という暗澹たる予言でした。ウェーバーは、そのように空疎になったシステムを突破するのに、価値合理性やカリスマといったシステムへの別の介入の回路を考えようとしていたわけです。
 このウェーバーの今なお見事な古典的洞察に示されるように、目的遂行型の有用性、「役に立つこと」は、与えられた目的や価値がすでに確立されていて、その達成手段を考えるには有効ですが、そのシステムを内側から変えていくことができません。したがって目的や価値軸そのものが変化したとき、一挙に役に立たなくなります。

 つまり、目的遂行型ないしは手段的有用性としての「役に立つ」は、与えられた目的に対してしか役に立つことができません。もし目的や価値の軸そのものが変わってしまったならば、「役に立つ」と思って出した解も、もはや価値がないということになります。そして実際、こうしたことは、長い時間のなかでは必ず起こることなのです。
 価値の軸は、決して不変ではありません。数十年単位で歴史を見れば、当然、価値の尺度が変化してきたのがわかります。たとえば、一九六○年代と現在では、価値軸がすっかり違います。一九六四年の東京オリンピックが催されたころは、より速く、より高く、より強くといった右肩上がりの価値軸が当たり前でしたから、その軸にあった「役に立つ」ことが求められていました。新幹線も首都高速道路も、そのような価値軸からすれば追い求めるべき「未来」でした。超商層ビルから海岸開発まで、成長期の東京はそうした価値を追い求め続けました。ところが二○○○年代以降、私たちは、もう少し違う価値観を持ち始めています。末長く使えるとか、リサイクルできるとか、ゆっくり、愉快に、時間をかけて役に立つことが見直されています。価値の軸が変わってきたのです。

中略

すべてがそうというわけではありませんが、概して理系の学問は、与えられた目的に対して最も「役に立つ」ものを作る、目的遂行型の知であることが多いと思います。そして、そのような手段的有用性においては、文系よりも理系が優れていることが多いのも事実です。しかし、もう一つの価値創造的に「役に立つ」という点ではどうでしょうか。
 目的遂行型の知は、短期的に答えを出すことを求められます。しかし、価値創造的に「役に立つ」ためには、長期的に変化する多元的な価値の尺度を視野に入れる力が必要なのです。ここにおいて文系の知は、短くても二〇年、三〇年、五〇年、場合によっては一〇〇年、一〇〇〇年という、総体的に長い時間的スパンのなかで対象を見極めようとしてきました。これこそが文系の知の最大の特徴だと言えますが、だからこそ、文系の学問には長い時間のなかで価値創造的に「役に立つ」ものを生み出す可能性があるのです。
 また、多元的な価値の尺度があるなかで、その時その時で最適の価値軸に転換していくためには、それぞれの価値軸に対して距離を保ち、批判していくことが必要です。そうでなければ、一つの価値軸にのめり込み、それが新たなものに変わったときにまったく対応できないということになるでしょう。たとえば過去の日本が経験したように、「鬼畜米英」となれば一斉に「鬼畜米英」に、「高度成長」と言えば皆が『高度成長」に向かって走っていくというようなことでは、絶対に新しい価値は生まれません。それどころか、そうやって皆が追求していた目標が時代に合わなくなった際、新たな価値を発見することもできず、どこに向かって舵を切ったらいいか、再び皆でわからなくなってしまうのです。

 価値の尺度が劇的に変化する現代、前提としていたはずの目的が、一瞬でひっくり返ってしまうことは珍しくありません。そうしたなかで、いかに新たな価値の軸をつくり出していくことができるか。あるいは新しい価値が生まれてきたとき、どう評価していくのか。それを考えるには、目的遂行的な知だけでは駄目です。価値の軸を多元的に捉える視座を持った知でないといけない。そしてこれが、主として文系の知なのだと思います。
 なぜならば、新しい価値の軸を生んでいくためには、現存の価値の軸、つまり皆が自明だと思っているものを疑い、反省し、批判を行い、違う価値の軸の可能性を見つける必要があるからです。経済成長や新成長戦略といった自明化している目的と価値を疑い、そういった自明性から飛び出す視点がなければ、新しい創造性は出てきません。ここには文系的な知が絶対に必要ですから、理系的な知は役に立ち、文系的なそれは役に立たないけれども価値があるという議論は間違っていると、私は思います。主に理系的な知は短く役に立つことが多く、文系的な知はむしろ長く役に立つことが多いのです。
吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』より。出題の都合により一部改変した箇所がある。)

問一傍線部(a)~(e)を漢字に直しなさい。
問二傍線部(1)「二つの次元」について、それぞれを端的に示す言葉を本文中から抜き出しながら、両者の違いを八〇字以内で説明しなさい。
問三傍線部(2)「一つの価値軸にのめり込み、それが新たなものに変わったときにまったく対応できない」と筆者が述べている理由を、八〇字以内で説明しなさい。
問四傍線部(3)「役に立たないけれども価値がある」という議論と、筆者の立場との相違点について、理系の知に対する文系の知の違いに言及しながら二〇〇字以内で説明しなさい。

 

 要約

大学の知「役に立つ」ー国家、産業だけでなく、いくつものレベルがあり、その時々の政権や国家権力、市民社会を超えている
文系の知ー中長期的スパンでなら工学系より役に立つ
「役に立つ」とは
1目的遂行型ー目的が設定されていて、その実現のため方法を見つけるー理系的な知、文系は苦手
2価値創造型ー価値や目的自体を創造するー文系が「役に立つ」
マックス・ウェーバーの例
目的合理性ーある目的に対しもっとも合理的な手段が組み立てられる
価値合理性ーそれ自体で価値を持つ活動
目的遂行型は目的や価値軸が変化したとき、役に立たなくなる
つまり、目的遂行型「役に立つ」は、与えられた目的に対してしか役に立たない
価値軸は不変でない
理系の学問は目的遂行型の知が多いー短期的
価値創造型ー長期的に変化する多元的価値の尺度を視野に入れる力が必要ー文系の知ー長い時間的スパン
多元的価値の尺度に対し、距離を保ち批判する必要ー新たな価値の発見
価値の尺度が変化する現代ー目的遂行的な知だけでは駄目
価値の軸を多元的に捉える知ー文系の知
自明化している目的、価値を疑い、新しい創造性を出す文系的知が絶対に必要
理系的な知は短く役に立ち、文系的な知はむしろ長く役に立つ

 

 

 

文科省が国立大学の文系学部廃止を打ち出したことへの反論である。
国が求める「役に立つ」の概念が、著者のそれとは大きく異なることは容易にうかがえる。
ちなみに、今年のセンター試験の評論が「科学的コミュニケーション」という題で、科学知に関する内容であった。それについては、以前のブログ記事に考えを書いたので、参考までに読んでみてください。


この大阪大学の入試問題が、センター試験の評論の内容に対する回答になっていると見なすこともできる。

 

研究成果が早く出て、社会にすぐに役立って、儲かるもの。それを求める文科省の文系学部廃止路線に対し、大学入試問題の国語で反論したものである。この文章を選んだ大阪大学の問題作成委員の先生方に敬意を表したい。


国からすれば「蟷螂の斧」に見えたとしても、言い続けることが大切である。次世代を担う受験生のみなさんが、この文章を読み、共感し、後の大学での学びの中に生かしてもらえると、日本の未来に対してたいへん心強い。

 

「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書

2017年 京都大学 入試問題 国語 理系 「私」をつくる 近代小説の試み を読んで考えた

2017年 京都大学 入試問題 国語 理系

「私」をつくる 近代小説の試み


岩波新書(新赤版) 1572
2015年11月20日第1刷発行
著者 安藤宏

 f:id:bluesoyaji:20170226122026j:image

f:id:bluesoyaji:20170226122040j:image

 

問題文は第3章「あなた」をつくる からの引用で、二葉亭四迷話し言葉で小説を書くことを迷っていたというエピソードに続く部分である。


夏目漱石森鴎外田山花袋の名前が出てきても驚かないだろうが、岩野泡鳴って誰?と思った受験生は多かっただろう。


パラドックス」という語が設問部分に含まれている。
評論の基礎用語なので、要注意だ。

 

要約

「言文一致体」の「正確さ」について、日常の出来事をありのままに描写するのにふさわしいと考えられた。だがおかしなことでは?
口語はきわめて主観的なもの。当時は、最も客観的で細密と信じられた。写実主義の浸透で、言文一致体の矛盾と面白さがあった。
田山花袋の「平面描写」論は、代表的なものだ。
客観を尊重するため話者の「私」(主観)を隠すことで、叙述に空白が生まれ、読者の想像が入り込むことになった。→パラドックス
一方、岩野泡鳴の「一元描写論」では、一人の人物の視点に立ち、その判断で統一を図れという主張である。

さらにおしつめると「顔」の見える「私」を表に出すことに行き着く。これを実践したのが「白樺派」である。

 

 

なお、分析や模範解答は、河合塾のサイトで出るでしょうから、そちらを参考にして下さい。

http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/17/


著者あとがきから引用する。

日本の近代小説を、内側からの必然にそって、そこに自ずと働く"文法"のようなものを明らかにしてみたい、それによって初めて「名作」が「名作」であるゆえん(普遍性)もまた明らかになるのではないか、と考えてみたのである。

 

 

この本は、大変興味深い内容だが、専門性の高いものだと感じた。
大学で近代文学を専攻している学生向きかなと思っていたが、まさか大学入試、しかも理系にこの文章を出題するとは…
理系の学生にも人文科学の教養を求めているということだろう。

 

じっくり読み直したい方や読んでみたい方は、以下を参考にして下さい。

 

「私」をつくる―近代小説の試み (岩波新書

ムダな仕事はもう、やめよう! 吉越浩一郎著 かんき出版を読んで考えた

ムダな仕事はもう、やめよう! 吉越浩一郎著 かんき出版

 

働き方について、考えることが多くなった。

定年後の人生設計や子どもたちの就職が気になる歳になったからだ。

参考になる部分を引用して、考えてみた。

 

日本人は、働いているうちが自分の本当の人生で、引退後の残りの時間はおまけの「余生」として捉えている人が多い。だから定年を迎えても、自分の人生を充実させるためにお金を使うという発想がない。
 また、日本人はお金を使わないだけでなく、子どもに財産を遺すことをある種の義務だと考える傾向が強い。その結果、死亡時に財産のピークを迎えることになるわけだ。
一方、ヨーロッパの人は、仕事をリタイアしてから自分の本当の人生が始まると考える。いわば老後は「余生」ならぬ「本生(ほんなま)」だ。
 つまり、「本番の人生」を楽しむために働いてきたのだから、本番になればお金を使い惜しみしない。ライフワークとなる趣味があればお金をどんどんつぎ込むし、これまで以上に夫婦で旅行にも行く。

 

著者は外資系の会社で働くことで、ヨーロッパ人の働き方を知り、日本人の仕事と私生活に対する考えと大きく違うことを知る。
日本人は老後を「余生」と考えるのに対し、ヨーロッパの人は老後が本番の人生「本生」と考える。

日本人の平均寿命を八十五歳とすると、六十歳で定年退職したあと、二十年は「余生」があることになる。もう一花咲かせることができる長さだ。

ヨーロッパの人は、趣味にどんどんお金をつぎ込むとあるが、うらやましい限りだ。

私は、定年退職後、北海道にアンモナイトの化石採集に行くという夢がある。ヨーロッパの人を見習いたい。

 

上司と密に連絡をとりながら間違いのない仕事をする人と、上司の指示を仰がず仕事を進めて失敗してしまう人。果たして、仕事人間として大きく成長するのはどちらだろうか。


日本の会社で教えられるのは、前者の仕事の進め方だ。しかし、私の見る限りではホウ・レン・ソウ文化で育ったビジネスパーソンは、なかなか大成しない。もし将来は経営幹部となって活躍したいと考えているなら、目指すべきは後者の仕事の進め方だ。

 

そもそも細かな事まで上司に指示されなければ動けないような働き方に、幸せを見出せるだろうか。仕事は自分の頭で考えるからこそ面白いのであり、そうでなければロボットと同じだ。つまらないと思いながらやる仕事は、集中力も高まりにくい。その点でもホウ・レン・ソウは仕事のスピードを鈍らせる要因だといえるだろう。

 

「ホウ・レン・ソウ」はよく言われ、常識のようになっている。しかし、著者によれば、自分の頭で考えないと仕事はおもしろくないとのことである。

仕事のスピードを鈍らせる要因、つまり、不要なものというのだ。これは斬新な意見だ。参考になった。私も取り入れよう。

 

 

本は形式知の典型だが、それは表面だけをなぞって読んだときの話だ。文章化されたことの裏側には、著者の無数の経験やそこから生み出された暗黙知が隠れている。そこに想像をめぐらしながら注意深く読み進めて行くことは、気づきの力を養ういい訓練になる。
例えば何か本を読んで、理由はわからないが心にひっかかるフレーズはないだろうか。それだけではまだ暗黙知に気づいたとはいえない。ただ、仕事で何か問題を抱えているときにそのフレーズが蘇り、「ああ、こういうことだったのか」と合点が行くことがある。それが暗黙知に気づいた瞬間だ。

 


読書を通して、隠れた暗黙知を読むという考えが非常に示唆的だ。

ビジネス書やハウツーものでは、暗黙知を得られないだろう。やはり、文学や芸術、歴史など幅広い読書を通しての知が求められる。

目先のことに役立つかどうかばかりを求めていてはダメですね。自戒を込めて納得しました。

 

人生はワーク(仕事)だけでないという筆者。ワークもライフも楽しめる人生を送ろうという筆者の提案がとても参考になりました。

 

ムダな仕事はもう、やめよう!